
知恩院住所・・・・・
京都府京都市東山区新橋通大和大路東入3丁目林下町400
拝観時間・・・9:00〜16:40(受付は16:10まで)、12〜2月は16:10まで(受付は15:40まで)
地図交通
アクセス【市バス】『知恩院前』下車すぐ
12系統、
31系統、
46系統、
201系統、
202系統、
203系統、
206系統円山公園の北にある南門、ここからが浄土宗総本山・知恩院となる。開祖法然上人滅後、1234年に弟子の勢観房源智上人が、勢至菩薩の化身といわれた師に対する報恩のために伽藍を建立し、四条天皇の勅で勢至堂を建て「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を賜った事が当寺の起こりと言われる。
現在の寺観は江戸時代に浄土宗の教えに帰依した徳川家によって整えられたものである。
諸堂最古の勢至堂や、日本現存の木造
建築の門の中で日本一の大きさを誇る三門をはじめ、経蔵、御影堂、大方丈、小方丈、勅使門、大鐘楼、集会堂、大庫裡・小庫裡などはいずれも重要文化財となっている。
『知恩院の七不思議』
【鴬張りの廊下】
御影堂から集会堂、大方丈、小方丈に至る全長550メートルの廊下である。歩くと鶯の鳴き声に似た音が出て、静かに歩こうとするほど、音が出るので「忍び返し」ともいわれ曲者の侵入を知るための警報装置の役割をもっている。
また鶯の鳴き声が「法(ホー)聞けよ(ケキョ)」とも聞こえることから、不思議な仏様の法を聞く思いがするともいわれている。
【瓜生石】
黒門への登り口の路上にある大きな石は、まだ知恩院ができていない前からあるといわれ周囲に石柵をめぐらしてある。
この石には誰も植えたおぼえもないのに、この石から胡瓜のつるが伸び、花が咲いて、瓜があおあおと実ったという説と八坂神社の牛頭天王が瓜生山に降臨し、後再びこの石に来現し、一夜のうちに瓜が生え実ったという説が伝えられている。
また石を掘ると、二条城までつづく抜け道があるとか、隕石が落ちた場所であるとか、様々な話が言い伝えられている。
【白木の棺】
三門楼上に二つの白木の棺が安置されている。その中には将軍家より三門造営の命をうけた大工の棟梁五味金右衛門夫婦の自作の木像が納められている。彼は立派なものを造ることを心を決め、自分たちの像をきざみ命がけで三門を造ったといわれている。や がて三門が完成したが、工事の予算が超過した責任をとって自刃したと伝えられる。この夫婦の菩提を弔うため白木の棺に納めて現在の場所に置かれ、見る人の涙を誘う。
【大杓子】
大方丈入口の廊下の梁に置かれている。大きさは長さ2メートル50センチ、重さ約30キロと、このような大杓子はあまりないところから、非常に珍しいものとして拝観者がみあげている。
伝説によると三好清海入道が、
大阪夏の陣のときに大杓子をもって暴れまわったとか、兵士の御飯を「すくい」振る舞ったと伝えられている。
「すくう」すべての人々を救いとるといういわれから知恩院に置かれ、阿弥陀様の慈悲の深さをあらわしている。
【忘れ傘】
御影堂正面の軒裏には、骨ばかりとなった傘がみえる。当時の名工、左甚五郎が魔除けのために置いていったという説と、知恩院第32代の雄誉霊巌上人が御影堂を建立するとき、このあたりに住んでいた白狐が、自分の棲居がなくなるので霊巌上人に新しい棲居をつくってほしいと依頼し、それが出来たお礼にこの傘を置いて知恩院を守ることを約束したと伝えられている。いずれにしても傘は雨が降るときにさすもので、水と関係があるので火災から守るものとして今日も信じられている。
【三方正面真向の猫】
大方丈の廊下にある杉戸に描かれた狩野信政筆の猫の絵で、どちらから見ても見る人の方を正面からにらんでいるのでこの名がある。
親猫が子猫を愛む姿が見事に表現されており、親が子を思う心、つまりわたしたちをいつでもどこでも見守って下さっている仏様の慈悲をあらわしている。
【抜け雀】
大方丈の菊の間の襖絵は狩野信政が描いたもので、万寿菊の上に数羽の雀が描かれていたが、あまり上手に描かれたので雀が生命を受けて飛び去ったといわれている。現存する大方丈の襖絵には飛び去った跡しか残っていないが、狩野信政の絵の巧みさをあらわした話なのであろう。

posted by happy-mouse at 23:16| 京都

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