2005年04月21日

壬生寺(みぶでら)


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空の旅


壬生寺

住所・・・・・京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町31
拝観時間・・・8:00〜17:00
拝観料・・・・参拝無料(壬生塚100円)
地図
交通アクセス
【市バス】『壬生寺道』下車徒歩3分、3系統11系統13系統26系統28系統29系統・91系統67系統69系統71系統203系統
【京都バス】『壬生寺道』下車3分、71系統72系統73系統75系統
【阪急電車】『大宮』下車徒歩10分
【京福電車】『四条大宮』下車徒歩10分

壬生寺は正暦2年(991)に園城寺(三井寺)の快賢上人が地蔵菩薩を安置して開き、1257年に平宗平氏が現在地に建立したといわれている。古くは地蔵院、宝憧三昧寺、心浄光院などとも号した。昭和37年(1962)には本堂を全焼してしまい、本尊地蔵菩薩像を含む多数の寺宝を失ったけれども、律宗総本山唐招提寺から新しい本尊、延命地蔵菩薩立像(重要文化財)が移され昭和45年(1970)に本堂の落慶法要が行われた。
700年の伝統を持つ壬生狂言で有名であり、190点の狂言の仮面の他にも、五仏錫杖頭(重要文化財)や列仙図屏風(長谷川等伯筆・重要文化財)といった寺宝を持つ。

【壬生狂言】4月21日〜29日・観劇料800円
三大狂言の一つであり、国の「重要無形民俗文化財」に指定されている。
正しくは「壬生大念仏狂言」といい、鎌倉時代から壬生寺に伝わる京の伝統芸能である。壬生の村人を中心に伝承されてきたものであるが、もとは壬生寺の中興の祖、円覚上人が仏の教えを庶民にわかりやすくパントマイムで伝道した事が始りであるといわれているように、悲劇から喜劇まで数多くの演目があり、鉦・太鼓・笛の囃子に合わせて、白布で頭と顔を包み仮面をつけた演者が無言で演じている。
ニ月初旬の三日間の節分厄除大法会、十月の三日間の秋の公開時にも一般公開されている。

【壬生塚】拝観時間・・・8:30〜16:30、拝観料・・・100円
壬生寺の門を入って右側にある阿弥陀堂の裏に池があり、その中の島が壬生塚と呼ばれて、芹沢鴨ら隊士の墓や、近藤勇の遺髪供養塔、胸像等がある。

【万灯供養会】8月9日〜16日
初日、9日は精霊迎え火といい、本堂の前に作られた舞台で壬生六斎念仏が奉納され、最終日の16日は精霊送り火といい、中堂寺六斎が奉納される。

【千体仏塔】ビルマのパゴダ風に2600体の石仏が螺旋状に並べられている。


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2005年04月20日

知恩院(ちおんいん)


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知恩院

住所・・・・・京都府京都市東山区新橋通大和大路東入3丁目林下町400
拝観時間・・・9:00〜16:40(受付は16:10まで)、12〜2月は16:10まで(受付は15:40まで)
地図
交通アクセス
【市バス】『知恩院前』下車すぐ12系統31系統46系統201系統202系統203系統206系統

円山公園の北にある南門、ここからが浄土宗総本山・知恩院となる。開祖法然上人滅後、1234年に弟子の勢観房源智上人が、勢至菩薩の化身といわれた師に対する報恩のために伽藍を建立し、四条天皇の勅で勢至堂を建て「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を賜った事が当寺の起こりと言われる。
現在の寺観は江戸時代に浄土宗の教えに帰依した徳川家によって整えられたものである。
諸堂最古の勢至堂や、日本現存の木造建築の門の中で日本一の大きさを誇る三門をはじめ、経蔵、御影堂、大方丈、小方丈、勅使門、大鐘楼、集会堂、大庫裡・小庫裡などはいずれも重要文化財となっている。

『知恩院の七不思議』

【鴬張りの廊下】
御影堂から集会堂、大方丈、小方丈に至る全長550メートルの廊下である。歩くと鶯の鳴き声に似た音が出て、静かに歩こうとするほど、音が出るので「忍び返し」ともいわれ曲者の侵入を知るための警報装置の役割をもっている。
また鶯の鳴き声が「法(ホー)聞けよ(ケキョ)」とも聞こえることから、不思議な仏様の法を聞く思いがするともいわれている。

【瓜生石】
黒門への登り口の路上にある大きな石は、まだ知恩院ができていない前からあるといわれ周囲に石柵をめぐらしてある。
この石には誰も植えたおぼえもないのに、この石から胡瓜のつるが伸び、花が咲いて、瓜があおあおと実ったという説と八坂神社の牛頭天王が瓜生山に降臨し、後再びこの石に来現し、一夜のうちに瓜が生え実ったという説が伝えられている。
また石を掘ると、二条城までつづく抜け道があるとか、隕石が落ちた場所であるとか、様々な話が言い伝えられている。

【白木の棺】
三門楼上に二つの白木の棺が安置されている。その中には将軍家より三門造営の命をうけた大工の棟梁五味金右衛門夫婦の自作の木像が納められている。彼は立派なものを造ることを心を決め、自分たちの像をきざみ命がけで三門を造ったといわれている。や がて三門が完成したが、工事の予算が超過した責任をとって自刃したと伝えられる。この夫婦の菩提を弔うため白木の棺に納めて現在の場所に置かれ、見る人の涙を誘う。

【大杓子】
大方丈入口の廊下の梁に置かれている。大きさは長さ2メートル50センチ、重さ約30キロと、このような大杓子はあまりないところから、非常に珍しいものとして拝観者がみあげている。
伝説によると三好清海入道が、大阪夏の陣のときに大杓子をもって暴れまわったとか、兵士の御飯を「すくい」振る舞ったと伝えられている。
「すくう」すべての人々を救いとるといういわれから知恩院に置かれ、阿弥陀様の慈悲の深さをあらわしている。

【忘れ傘】
御影堂正面の軒裏には、骨ばかりとなった傘がみえる。当時の名工、左甚五郎が魔除けのために置いていったという説と、知恩院第32代の雄誉霊巌上人が御影堂を建立するとき、このあたりに住んでいた白狐が、自分の棲居がなくなるので霊巌上人に新しい棲居をつくってほしいと依頼し、それが出来たお礼にこの傘を置いて知恩院を守ることを約束したと伝えられている。いずれにしても傘は雨が降るときにさすもので、水と関係があるので火災から守るものとして今日も信じられている。

【三方正面真向の猫】
大方丈の廊下にある杉戸に描かれた狩野信政筆の猫の絵で、どちらから見ても見る人の方を正面からにらんでいるのでこの名がある。
親猫が子猫を愛む姿が見事に表現されており、親が子を思う心、つまりわたしたちをいつでもどこでも見守って下さっている仏様の慈悲をあらわしている。

【抜け雀】
大方丈の菊の間の襖絵は狩野信政が描いたもので、万寿菊の上に数羽の雀が描かれていたが、あまり上手に描かれたので雀が生命を受けて飛び去ったといわれている。現存する大方丈の襖絵には飛び去った跡しか残っていないが、狩野信政の絵の巧みさをあらわした話なのであろう。



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2005年04月13日

嵯峨・法輪寺(ほうりんじ)・・・針供養、十三参り





法輪寺

住所・・・・・京都市西京区嵐山虚空蔵山町
拝観時間・・・拝観自由(祈祷の受付 9:00-16:00)
拝観料・・・・参拝無料、十三詣りの祈祷料は別途必要
地図
交通アクセス
【市バス】『嵐山公園』下車すぐ
『嵐山公園』28系統
【京都バス】『中の島公園』『嵐山』下車すぐ
『中の島公園』63系統73系統83系統90系統
『嵐山』61系統62系統71系統72系統
【阪急電車】『嵐山』下車徒歩3分
【京福電車】『嵐山』下車徒歩5分

 奈良時代に元明天皇の勅願によって行基が開基した葛井寺(かづのいでら)が起源であると伝えられている。その後、弘法大師の弟子である道昌が、虚空蔵求聞持法による百日間の参篭修行を行い、感得した虚空蔵菩薩の像を刻んで安置した。貞観10年(868)に名を法輪寺と改められた。
 慶長2年(1597)に、後陽成天皇が下した法輪寺再興の勅旨によって諸国から集まった浄財や、加賀前田家からの寄進も得て諸堂が再建され、中世以来荒廃していた寺観が整った。
が、元治元年(1864)の蛤御門の変の際に長州藩の浪士が対岸の天龍寺に陣取り、その時の戦火を受けて法輪寺も灰燼と化してしまった。現在の建物は、明治中期から大正初期にかけて再建されたものである。
 嵐山の象徴的シンボルである『渡月橋』も元々は法輪寺へ参拝する為の参道の一部であったといわれ、京都の町人からは『こくぞうさん』という愛称で親しまれている。
また、虚空蔵菩薩の知恵貰いのご利益から受験合格祈願の参拝者も多い。祈願の際には必ず渡月橋を歩き渡って参拝し、渡月橋を渡って帰る事とされているのであるが、橋を渡っている間に振り返ってしまうと法輪寺で得た知恵が全て消えてしまうと言われている。

【虚空蔵菩薩】「虚空」とは無量の意で広大無辺の福徳・知恵の功徳を蔵する菩薩である。虚空、即ち大空(宇宙)が、日、月、星をはじめ、山川、土地、草木などの森羅万象や生物をことごとく包容している事が、大きな宝蔵に多くの財宝を収めているようなものである事から、虚空の姿を宝蔵になぞらえて虚空蔵というとされる。虚空蔵菩薩は大空の徳性を総合する霊位であり、無限のご利益を人間をはじめ動植物の育成から一切の物資の生産に至るまで施与し、守護している。それは「山川草木悉有佛性」の思想であり、自然現象から人間を始め生きとし生けるもの全ての生存、育成すべてが虚空蔵菩薩の慈悲であるという考え方である。

電電宮】本尊虚空蔵菩薩の御誓願をもとに電気電波の祖神として電力、電気、電波、電子等あらゆる電気関係事業の発展と無事故安全を祈願している。
また電電塔には塔をはさんで、向かって左側にヘルツ、右側にエジソンのレリーフがかざられている。

【十三参り】3月13日〜5月13日(4月13日を中日とした一月間)、10月〜11月
古来より、数え年十三歳に成長した男女が、成人の儀礼として法輪寺に参拝し、十三歳の厄難を払い、智恵を授けていただけるようにと虚空蔵菩薩に祈願していた。そして江戸時代の中頃になると京都のみならず近畿一円からのお参りが一般に広がった。古くは本尊虚空蔵菩薩の最もご縁の深い旧3月13日(現在の4月13日)に参詣するのが一般的であった。

【針供養】2月8日、12月8日・・・午前11時〜午後1時
皇室で使用された針をご供養せよとの天皇の命により始まり、現在でも毎年12月の針供養の際には皇室からお預かりしている針のご供養が行われている。針供養当日の法要の際には、一所懸命働いてくれた針に休んでもらおうと、供養に訪れた人に蒟蒻に大針を刺して貰っている。

羊像】羊は虚空蔵菩薩の使いであるそうで境内に「羊の像」が祀られている。また虚空蔵菩薩は十二支では丑年・寅年生れの人の守護仏とされていることから「狛牛」「狛虎」が対になって本堂前に鎮座している。


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2005年04月10日

今宮神社(いまみやじんじゃ)





今宮神社

住所・・・・・京都市北区紫野今宮町21
拝観時間・・・参拝自由(社務所は9:00〜17:00)
地図
交通アクセス
【市バス】『今宮神社前』下車すぐ、『船岡山』下車徒歩7分
『今宮神社前』46系統
『船岡山』1系統12系統204系統205系統206系統北8系統M1系統


今宮神社は平安遷都にともない、疫神を祀る神社として御霊会を行うために造営された神殿がはじまりとされる。現在の社殿は1902年(明治35)に再建された。
正暦5年(994)、平安京で疫病が流行り、これを鎮めるため御霊会がおこなわれたと記録に残っており、その後も疫病が流行るごとに御霊会がおこなわれている。
毎年4月第2日曜日におこなわれているやすらい祭は、当時の疫病退散の古い祭を伝承するものである。
織物の神を祀る織姫社など摂社、末社も多く、本社に大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、疫神社には素盞嗚尊(すさのおのみこと)が祀られているのを始め、現在は京都国立博物館に寄託されている現存最古の薬師(やくし)・弥勒(みろく)・弥陀(みだ)・釈迦(しゃか)坐像を線刻した四面石仏(重要文化財)も以前は境内に安置されていた。

【やすらい祭】毎年4月の第2日曜日に行われる疫病除けの祭。桜や椿で飾った風流傘を中心に、羯鼓(かつこ)を持った少年と鬼が「やすらい花や」の囃子詞(はやしことば)に合わせて踊りながら町を練る。行列の花傘の下に入ると病気にかからないといわれている。太秦の牛祭・鞍馬の火祭とともに京都三奇祭の一つとなっている。

【叩くと怒る石】境内にある石で、叩くと重くなって持ち上がらなくなるが、撫でたり拝んでから上げると軽々と上がると言われている。

【和歌おみくじ】風雅なしおりタイプのおみくじで、運勢と『源氏物語』に出てくる歌が書かれている。

【あぶり餅】参道に2軒向かい合わせに建っている甘味処での名物。神社に向かって右側が1000年続いている「一文字屋和助」、左側が400年続いている「かざりや」。


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2005年03月15日

清涼寺・嵯峨釈迦堂(せいりょうじ・さがしゃかどう)


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清涼寺・嵯峨釈迦堂

住所・・・・・京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
拝観時間・・・参拝自由(社務所は9:00〜17:00)
地図
交通アクセス
【JR】嵯峨野線『嵯峨嵐山』下車徒歩3分
【京福電車】嵐山線『嵐山』下車徒歩3分
【市バス】『嵯峨釈迦堂前』下車すぐ28系統91系統
【京都バス】『嵯峨釈迦堂前』下車すぐ61系統62系統快速71系統71系統72系統81系統90系統

清涼寺.jpg

嵯峨釈迦堂と呼ばれて親しまれている清涼寺は、“源氏物語”の光源氏のモデルとも言われる、嵯峨天皇の皇子、源融(みなもとのとおる)の山荘跡である棲霞寺(せいかじ)が起こりとされる。ご本尊である国宝の三国伝来である釈迦牟尼仏は、東大寺の僧・ちょう然が中国で釈迦生身の尊像を模刻して持ち帰ったものを、ちょう然の死後、1016年に、弟子の盛算(せいさん)が棲霞寺の釈迦堂に安置したもので、体内には絹で作られた五臓六腑が施入されており、生身(いきみ)のお釈迦様とも呼ばれている。また釈迦牟尼仏の釈迦堂への安置とともに清涼寺として完成したとされている。

【涅槃会・お松明式】
3月15日。京都三大火祭の一つといわれている。読経の声が響く中、夜8時より、約8メートルの高さがある、早稲、中稲、晩稲に見立てられられた三基の大松明が灯されて燃え上がる炎は、お釈迦様が荼毘(だび)に付した時の様子ともされ、その燃え具合によってその年の稲の吉凶が占われたと伝えられている。また、午後三時半、五時、六時半の三回、狂言堂で催される嵯峨大念仏狂言は国指定重要無形民俗文化財であり京都の三大狂言の一つである。

【御身拭式】
4月19日(もと陰暦3月19日)に行う法会。釈迦堂本尊の釈迦像を、白い絹でぬぐい清める行事。


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posted by happy-mouse at 20:05| 京都 | Comment(0) | TrackBack(1) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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